小松石とは
小松石とは火成岩の中の安山岩です。箱根火山の活動により今から40〜15万年前に流出した溶岩よりできた半深成岩です。分かり易くいえば溶岩が比較的早く冷却し生成した岩石です。わが国の安山岩中、石質は堅硬、耐久性、耐火力には花崗岩よりも強い点が特色です。
また、小松石は山から切り出した状態では表面が酸化し赤褐色を呈して、自然石で形のよいものは庭石、記念碑、飛石、に使用され関東地方や東海地方には、その遺蹟を数多くみることが出来ます。この岩石を角材にし研磨すると、小松石独特の灰色、淡灰緑色の緻密な石面が現れ柔らかな光沢を発し高級な墓石に使用されます。

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小松石の歴史
小松石の歴史は現存する日本の石材産地の中では最も古い歴史を持つ産地です。奈良時代、岐阜県養老郡時村「竜淵寺」リュウエンジ、で約1200年前、相州産 小松石の墓石が発見され、科学的調査の結果確証がえられていることから、すでにこの時代から石材採掘され、遠隔輸送が行われていたことが推定されこの史実からすれば、小松石は日本最古の石材と匹敵されます。また石材産業として発展してきたのは鎌倉時代から室町時代の初期、源頼朝が幕府を創始した際に小松石の大石を輸送したことや鎌倉市内にある頼朝の墓をはじめ、北条一族の墓や寺社の礎石などにも小松石が多く使われていたことがわかります。のち小田原の後北条氏時代は、石工業が大いに繁栄し小田原城築城には夥しい石材の量を必要としました。江戸時代、徳川家康候は石屋善衛門を関東石匠棟梁に任命し江戸城の石垣を築きました。この当時の石材搬出はほとんど海路によって江戸に運ばれ、真鶴はこのあたりで第一の良港でした。江戸時代三百年間は、幕府の石奉行をおき官営採石石場「御用丁場」とよばれていました。のち明治以後も相州小松は繁栄をつづけ大正天皇墓稜、昭和天皇武蔵野稜の奉建までに及びました。